国立新美術館で開催されていた「遠距離現在」展より、徐冰の『とんぼの眼』という映画について。
尼僧になる修行をやめて俗世間で働き始めたチンティンと、彼女を一方的に愛する男性クー・ファンの物語が語られる。主人公はいるものの、彼らを演じる役者はシーンごとにころころ変わっていく。役者ではなく、演じていることにされた者と言った方が正確だろうか。『とんぼの眼』と題されたこの81分の映画は、中国国内に点在する監視カメラ映像をつなぎ合わせ、ラブストーリーへ仕立て上げたものである。
本作の特徴として、シーンのほとんどが俯瞰の視点で撮影されたものになっていることが挙げられる。監視カメラ映像では、人物の表情は鮮明に映らないものの、周囲の状況や人物の身体の動きを把握することはできる。このような俯瞰視点の映像は、斜め上からプレイヤーである自分と敵と周囲の状況を見下ろす、鳥瞰的視点とも呼ばれる古いゲームの形式にも似ている。このような視点のゲームは、文字通り俯瞰性は高いものの当事者性が低く、プレイヤーと自分を同一化しにくいとされている。本作の場合、この俯瞰の視点によって鑑賞者が登場人物に同一化しにくくなるという問題点を、映り込む人物がすり替わっても違和感が小さく済むという効果として活かしている。監視カメラは、映り込む人物の固有性を曖昧にし、「女(チンティン)」と「男(クー・ファン)」という二種類の記号として扱うことを可能にしているということだ。この映画において、監視カメラに映り込んだ人々は、女らしき人物はチンティン、男らしき人物はクー・ファンとしてアテレコ可能な素材となっている。
監視カメラ映像は本来ドキュメンタリーなものであるはずだが、本作では監視カメラ映像を切り取り、異なる文脈のセリフをアテレコすることによって、フィクションの物語を紡いでいく。高所から見下ろす形での固定撮影によって失われるディティールは、創作の余地と捉えることができる。こうした隙間の存在は、現実のつぎはぎから全く別の物語を語ることを可能にしている。